チャーリーのほほんブログ

ブロガリからお引越、ぼちぼち、やってます。&チャーリー高橋ですがワタクシ女性です、男性のチャーリー高橋さんではありません。

なみだ

今日は一日ゆっくり過ごした
昼前から雨、

ゴロンゴロンして本読んだりしていたら
いつの間にやら日が暮れていた

夕刊を取りにポストに行くと
喪中ハガキが一枚

入っていた

宛名がわたし。

ふと嫌な予感が走る


ハガキを裏返し
本文を読みつつ階段を登っていたら

「本年7月8日 土田基が八十八歳で永眠いたしました」

とある・・・。

大阪市立工芸高等学校写真工芸科(現:映像デザイン科)の恩師、
土田 基先生である。

階段を登りつつ
嗚咽した・・・

予感はしていたのだ

去年から年賀状が届かなかった

手紙を送ると次の日にハガキを送ってくれる
マメな先生だったのに
不安に思っていたのだ

いいお年だし
何かあってもおかしくはないけれど

※去年も今年も届いてました・・・すいません!
 今年いつも一言かいててくれてたのがなかったので
 なにかあったのかなと思っていたのを
 勘違いしていました!!!(平謝り)
 ちゃんと調べてかかないといけません(泣)
 11/14訂正しました!


*******


毎年毎年新しい生徒が入ってくるので
先生は殆どの生徒をフルネームで覚えていらした

私は卒業生のおおしまさんという人に似ていたらしく
何度か「おおしま~」と呼ばれたのだが
「ああそうそう、キミはチャーリー高橋(実際は本名)だったな」
それからはいつもフルネームで呼ばれていたのだった

先生が教えていたのは「カラー写真」

試験問題で「反射するものを書け(そういう感じだったと思うんだけど)」という問題があり
いろいろ書いた最後に「土田先生の頭」と回答しておいたら
大きくバッテンと「どアホゥ」と書かれてあった。

全ての生徒がきっと先生を好きだったと思う
とてもステキな先生だったのだ。

高校から就職先を紹介してもらった手前
20の時、辞める事になり
学校へ挨拶に出かけた
その折だったか

職員室にいると
頭にタオルを乗っけた土田先生が帰ってきた

学校の隣の銭湯に
すべての授業が終わりひとっ風呂
行っていたのだそうだ

「チャーリー高橋(実際は本名)!キミはいくつになった?」

「20です」

「お酒は呑めるのか?」

「あ・はい」

「じゃあ一杯呑みに行こう」

「はいぃ???」

天王寺の中華屋さんで
酢豚をつまみに
生ビールをご馳走になった


絵をかいていた頃
毎年展覧会の案内を送った
(返事がいつも次の日に届いた
「健康のため 毎朝3っめの駅まで通って
 そこの石段を登っております。(原文のまま)」)

最近は自作のカレンダーを毎年送っていた

今年もそろそろカレンダーを作らなきゃ

先生から年賀状が届かなかったけれど
お元気なんだろうか・・・
(届いてたっちゅうねん!)

なんだか不安に思いつつ

とにかく、今年もカレンダーを送ろう
先生の誕生日
12月25日に届くよう

そろそろカレンダーを作らなきゃ


そう
思い始めた頃だったのに・・・・



年賀状が届かなくなったあの年に
訪ねて行けば良かった
(実際は・・・書き込みがなかった
 今年の年賀状を見た時です、すいません!)




いや、

どうなんだろう

元気だった自分を覚えてほしかったのかもしれない

弱った姿を誰にも見られたくはなかったのかも

いろいろ

考える。


いい先生に出会えたなぁ

ただそれだけ。

ありがとうございます、土田先生。
(本当に本当に、ありがとうございます 11/14訂正)