チャーリーのほほんブログ

ブロガリからお引越、ぼちぼち、やってます。&チャーリー高橋ですがワタクシ女性です、男性のチャーリー高橋さんではありません。

寒い冬は、いろいろあります

2011/2/14
あまりの忙しさに
正直、目が回っていた

時間の過ぎゆく時間が早いったらありゃしない

あ~~~

おかしな日本語ですね

それすらもよくわかっていない状況。

いろいろありました。
ええ、ホントにありとあらゆるなにか

雪がひと冬に2度も積もったって大阪で何年ぶりなんですか?気象庁

雪が積もった前回の大阪って10年以上前?
ちょうど私は上新庄に派遣されてて、しかも自転車通勤で
大阪の道路で
雪のわだちが出来てるの初めて見て
スッゲー驚いたけど
今回、昼間に雪が積もって!!!
(今までって朝目が覚めたら積もってたって状況しか知らない)
夕方道が凍ったら自転車で走ると滑ったら危ないかもと
早い目に昼間買い物に出かけたのだが
行きしなにはそんなに積もってなかった道に
雪がほんのり積もってて
私が自転車で走ると、その後ろにわだちが出来て
おおお!
と、ちょっと感動しつつも滑らない事を祈りながら走る。

それにしてもこのままこの雪が降り積もったら
どういう状況になるの?!

心配で心配で
雪下ろしを夜中にしなくてはいけないかも?!
そんな気苦労も夕方のシトシト雨で少し収まり
トタン屋根の上に積もった雪が溶けているのを見て安堵

大阪が雪国でなくってよかった。

昼過ぎ宅急便が来て
なんなんだろうと私宛の荷物を受け取ると

毎年バレンタインのチョコを送ってくれる友人からのお届け物。

「ああ、そういう時期だったんだ!!!」

冷凍と表示された贈り物に
チョコレートで冷凍って何?!
と開けてみてビックリ!!!

アイスケーキだって!!!

それがまぁかわいくってかわいくって!!!(涙)

思わず一口頬張ると

うんまい~~~~(泣)

ありがたい~~~~(涙)

そうか
バレンタインデーだったのね。

季節や何やすっかり忘れ去ってたわ
そういやスーパーに行けばチョコレートが
並び立てられていたのは知ってはいたものの

気にもかけていなかった

(ロッテのティラミスチョコが売っていたのには素早く反応してすぐに買っていたのだが
ええ、明治製菓のメルティキッスくちどけラム&レーズンも買い込みましたがね。
旨いのでメッチャお薦めしますが、もう売っているかどうかはわかりません・・・・・・・・・)

旨いチョコに感激してメールを打ってみるものの

文面を打ちながら
頬に涙がこぼれるので困る

ここで初めて友人に宛てて書く
この1ヶ月のアレコレについて。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

ここんとこの寒さってないよね
すごく不安に思ってた
1月14日
田舎の大伯母さまが亡くなったとの知らせに
ホントは一番に駆けつけたかったのだが
親父を連れて帰るのは車でもなければ無理。
弟が車で行くというのであれば可能だったのだろうけれど

どうだろう

結果は帰る事無く兄と姉だけが戻ったお葬式だったのだが
この頃の広島は恐ろしく寒かったらしい
通夜をお寺で過ごした兄と姉は余りの寒さに凍えそうだったらしい
親父が帰らなくてよかったと聞かされたが
この冬の寒さったら
思いがけず大阪も冷え込んで

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

親父はちょっとした風邪を引き3日ほど好きな酒も呑まずに過ごし
足が弱ってきたのかちょっとフラフラの千鳥足
慌ててあちこちに手すりをホームセンターで買い込み
急場しのぎで付けたものの
1月20日の朝
朝食を少し取ってトイレに立ったが疲れた様で
「横になるわ」といってベッドまで連れて行くが
どうもおかしい
おでこを触ると熱いもんで
熱を測ってみると38.5度
コレはイカンと慌てて氷枕やら冷たいタオルやらおでこに乗せたりと
10分置きに熱を測るが一旦下がってもまた上がったりと
汗で着ていたパジャマがぐっしょり
「救急車呼ぼか?」と着替えさせる度に聞くが
「病院行きたない」と親父

4度目位に着替えさせる際にはもう自分で身体を起こせない事がわかり
「な、自分でもう動かれへんやろ?救急車呼ぶか?」
そういう私の言葉に「そうやな」とやっとこさ言った親父の返事を聞きすぐ電話

まもなく救急車が来て
3年連続の肺炎での入院と相成ったのだ。

意識もしっかりしていたし
ただの肺炎と思っていたのだが
医者の見立てはそうではなかった
・・・・・・・・まぁその見立ての一番の理由に
私が持って行った親父が通う病院からの紹介状にその理由があったのだが

ええ、
親父は肺癌患者
それもその紹介状には余命3ヶ月とか6ヶ月とか書かれてあったようで
親父最初の肺癌(小細胞癌)から10年以上経つが
3度目の癌
2度目は3年前の喉頭癌(扁平上皮癌)
それぞれ再発ではなく
新たな癌であった
ええ、
低体温な親父の身体は癌が途轍もなく棲みやすい身体だったらしい
今度の癌は複合的な癌だったらしいなんて名前の癌だとかは聞かなかったけれど
楽天的に考えてた?
ううんそうではないけれど死ぬことを前提に私が考えると親父に悟られてしまう
大丈夫なんだと私にも親父にも言い聞かせるように
大丈夫、大丈夫と
それだけしか言わず暮らしてきたんだった

で、
救急で運ばれた病院の医師はすぐに「3日が山です」

医師の見立てはそうなんだろうけれど
私の見立てはそうではない
親父は大丈夫、
兄弟たちにもそう言い聞かせ
入院の当日はそのまま親父を一人置いて夜は戻ったが
朝方早く目が覚め心配になる

次の日病院へ行くと危篤状態なので付き添い(泊まり)可能と言われたが
私は、親父自体危なくは無いけれど、とにかく親父を一人にしておくととにかく危ない。
ええ、トイレに行くと言ってきかないので夜中に起きてコケたら危ないし
(尿道カテーテルが付けられているのでトイレに行かなくていいようになってる)
ええ、実は前回の喉頭癌の際、飲む抗がん剤の副作用で肺炎に。
その肺炎がよくなって来て自分でトイレに行けるようになり夜中に歩いて行ったもののコケ
そのコケた際に腹部を内出血
その頃親父は血液サラサラにする薬を飲んでいた為
内出血に気がつかなかった病院側がスッゲー超低血圧で輸血が必要ですだの何だの言う。
超低血圧の原因が判らないってたけど
親父が汗をかいていもんで私がパジャマを着替えさせていたら
腹部の内出血に気が付き超低血圧の原因がやっとこさ判って
血液サラサラにする薬の服用をストップし
腹帯で腹を締めつけて止血するもかなりの血液がもう内出血で出ててしまってたもんで
輸血を3パックから4パックされた事があった・・・・・・・・
しかも輸血って同意が必要らしく夜中の1時過ぎに電話が鳴って
輸血の同意を求められた事も

後日その同意の意味がHIV検査をさせられた血液検査の結果で知る事に

輸血ってHIVとかちゃんと検査されている血液が輸血されるものではないのか?
HIVキャリアとか輸血される血液にそんなのはわからないって事なのか?

のちのち驚愕した覚えが。

とにかく、そんな一件も有ったもんで
親父を一人病院に置いて置くのも不安で
簡易ベッドで付き添うことになった

私の身長は157cm弱
簡易ベッドは私の足がはみ出る位の小さなもので
しかも少しでも動こうものならギシギシ大きな音を立てるものだから
2人部屋とはいえもう一人の患者さんには申し訳ないし
直立不動で眠らなければならない羽目に
しかも2日目からは親父が物音を立てる度に起きるのに
いちいち靴を履く時間がもったいないもんだから
靴を履いたまま眠るという状況に。

しかも入院前3日間のフラッフラの風邪の際
親父がトイレに行く音が聞こえてくる度起きてたもんだから
殆どゆっくり寝てないわ
入院した日も入院前の4度の汗かきの着替えや熱を下げる為に
濡れタオルを何度も交換するやのなんやの救急車を呼ぶ前にフラッフラだった私。
付き添い3日目で限界が見えていたのだが
2日目の日曜、夕方見舞いに来てくれた姉夫婦が私のフラフラに気が付き
次の日昼間に交替してくれ
ゆっくり風呂に入って休めたので何とか私が持ち直し
なんだかんだといいながら毎日、
兄も弟も病院に見舞いに来るようになったりで家族が結束、
3日が山と言われたのが持ち直していたのに
その3日目にまた私が家でゆっくりしている間に姉に医師は
「3日が山です」ってまぁ

脅かすのがお好きな先生だなあと思いつつ
それでもまた3日は過ぎ10日目の日曜日大阪国際女子マラソンだった
病院の前もマラソンコースで
毎年親父と観に行ってったマラソンを
元気だったら車椅子でも観に行かせたいところだったが
絶対安静は続いていたのでそうもいかず

でも、少しずつ食欲も出てその日は私が買って行った
ローソンのプレミアムティラミスを半分食べた!
ええ、親父はティラミスが好物。
メッチャ美味しそうに食べたんですわ

姉は病院に近い学校に勤めていたので
毎日病院へ来てくれてたのですが
この日はさすがに疲れた様で見舞いに来れず
次の月曜日休みを取って親父をゆっくり看てくれたのですが
この日の親父は前日とは違いグッタリしていたようで
姉にはちょっと気の毒だったか
肩で息をするようになって苦しそうだった親父
酸素も95%って入院当初から下がってたので
鼻と口から酸素を入れてもらってたんですが
そのメモリも3から5に
肩から息をしていたその晩は7にまで上げられてしまったのだった

それでものんきだった私は
いや、親父が危ないって思いたくもなかったんだと思う
この日も普段のように看護婦さんが身体を拭きに来てくれたり
いろいろしてくれてたのだが
看護婦さんが拭くだけではキレイにはならないもんで
(垢が出るとタオル1枚では済まないので撫でる程度にしか拭いてくれないんだわ)
足湯ならぬ手湯を洗面器で
親父の両手を洗ってあげるとまぁビックリするほど垢が出て
キレイに洗って気持ちいいねと言いながら親父の顔を見
何も言わなかったが目を合わせてくれて
その目を見て安堵したのだった

なんだろうか、しっかり目を合わせたんだその時

そのあと歯磨きティッシュで口の中をフキフキ
そのあと経口補水液で口の中をしとらせキレイにしたのだが
それからしばらくして
病室を掃除に来てくれた掃除のおばさんと話していたら
見回りの看護婦さんが来て
「呼吸してないんとちゃう」って

うそやん。

そこからは冷静でなかった
親父と呼びながら頬や胸を叩き
看護婦さんに止められ
担当医師が救急対応をしているあいだ
家族を呼ぶように言われたが
あっという間だった

私が鈍感だった

危機が目の前にあったのに
親父が死ぬ事など考えないようにしていた大バカ者だったから
気が付きもしなかったんだ

そう自分を責めてもなんでも
もう遅かった

肩で息するほど弱ってたんだってこと
気が付いていた癖に
わからないで過ごしてたんだ。

ごめんな親父。

慌てて電話して来てくれるよう呼んだ姉も間に合わなかった

「瞳孔も開いてるし心臓も停止しています」
そう宣告されても
親父はその前にみた親父と変わらない
ただ眠っているだけにしか見えない
親父だった

2月1日
親父は79歳の誕生日を1ヶ月過ぎて亡くなった

それからバタバタあっという間
4人兄姉私弟が揃い
しばし、放心

しかし、現実はいろいろあるね
病院で紹介してもらった葬儀場は遠いもんで
インターネットで葬儀場を調べ2社で見積もりしてもらい検討
お通夜にも親戚たちが泊まれる葬儀場を選んだ
寒かったせいか斎場が凄く混んでいて
1日遅れで通夜、告別式
2月4日に親父を見送ったのだった

しかも・・・・・・・・・・
なんかしらんが癌が流行りなのか?
母の親族に末期の癌患者がもう二人

しかも親父が亡くなった日に危篤って言われた神戸の伯母がおり
まさか葬式も重なるのでは?!

そんな杞憂が1日、2日と流れる中
通夜が終わった3日に伯母は亡くなったのだ
親父の葬式が4日に終わり、その足でそのまま喪服を着替える間もなく伯母の通夜に行く
神戸だったので通夜のその日は戻ってきたのだが
弟運転で次の日の葬式には4人で出席
親父の葬式は結構賑やかだったが
伯母の葬式は本当に親族とわずかな友人のみ
それでもとにかくあたたかい、いいお葬式となったのだった

葬式の後、母方の親族で前日のウチのお葬式に来れなかった従兄弟たちが
親父に挨拶していきたいと来てくれ
ついでに大伯母の家族達もそのまま来てくれて
賑やかに大阪のお好み焼きを食べに連れて行って満足して帰ってもらえた

なんなんだろうか
母方の親族に会うとホッとする

顔がほんのりみんななんだか似ているっていうのもあるのかも知れないが
母の兄弟って母に似て単刀直入で嘘が無く柔らかい

ちなみにと言っては何だが
伯母の葬式はかなり冷静にいる事が出来て
ああ、なんだ
今日は泣かないで送ってあげる事が出来ると
思っていた矢先
御棺を閉める間際
従兄弟が伯母の顔に顔を寄せ

「おかあちゃん、ありがとう」といった

それでスイッチが入ってしまい
涙がタッラーーー

素直に言えるその言葉が何より心に響くものなのだなと
従兄弟の言葉に打たれた。

ワシ、言われへんかったがな。

そういう後悔も何も
多分親父はわかってるけど
言えるのってええな。

とにかくつらいのってなんのって
どういうもんかってわかってても
どうよりそってええもんかもわからんけど
だまって笑って集まってくれるそういう感じが
母方の親族に会うとあるんやね

だからホッとするんかなぁ

とにかく、いろいろあったし
考える時間もあったんやけど
まだまだ
普通に話せる状況に至ってないもんで
もうしばらく
放っておいてもらえませんか、ね?

お悔やみの言葉も何も
まだそれが受け止めきれないんですわ。

親父の事知ってる人に会って
アレコレ言われたら、もうそこで何も話せなくなるんですよ

泣かなくなれるまで
もうちょっと待ってほしい
泣くのがしんどいって初めて知りましたもん。

まぁ、
ぼちぼち
どんな感じで過ごしているか
書いてみるので
気を長くして
待ってて下さい。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

そや、
のぞみさん
チョコありがとう!
めっちゃ旨かった♪
のぞみさんトコも義父さんが亡くなったって、大変でしょう

ホントありがとう
またそちらも落ち着いたら1杯、今年こそ呑みに行こうね。