チャーリーのほほんブログ

ブロガリからお引越、ぼちぼち、やってます。&チャーリー高橋ですがワタクシ女性です、男性のチャーリー高橋さんではありません。

話は前後してしまいますが💧…2017年6月23日の出来事。

6年前の事で
しっかりとした日記を書いていた訳でもない
いろいろ思い出しながら書いているので
ふと思い出した。


この病気の事を
一度・・・・・・・・・・会社の担当者に直接
話せる機会が・・・・・・・・・・
実はあったことを思い出した。
何かの用があって担当者が仕事場に来ていたのだ


しかし・・・・・・・・・・


その時ちょうど担当者のスマホが♪ピロリンと鳴って
担当者がスマホを開いて一言
言った言葉が
ああ、そうだった。
アレがワタクシを黙らせたのかも知れない。


2017年6月の23日だったよう
ニュースを調べてこの日だと判ったのだが。


ちょうどワタクシが検査の結果を聞きに行く
午前中の事だった。


2017年のこの頃
この病気がちょっとワイドショーや雑誌ネット
取り上げられていた事思い出していただけるだろうか?


担当者、スマホ見て一言。


「あ小林麻央死んだ」


・・・・・・・・・・そう、
彼女が闘っていた病気がコレで。
この一言で黙り込んでしまうしかなかった。


いろいろあるから
休みも急に取らねばならなかったりするかも知れないし
会社に言うべきかどうか・・・・・・・・・・
でも担当者、若い男の子だったし💧


・・・・・・・・・・ええ、ワタクシもその病気でして・・・。

(いや、この時点ではまだ判ってはいなかったけれど)

 


とは言えなかった・・・・・・・・・・。
まだ結婚して妻子持ちとかだったら
言えたのかも知れなかったけれど
大卒すぐの男子に
「あ死んだ」を聞いた後にはとてもとても、
言えなかった。


とにかく、治療が進んでいく上で
どうしようもなくなったなら
話さなくてはいけなくなるかも知れないけれど
それまでは、黙っていよう。


そう決めた瞬間だった。


きっと子供たちや家族に
自分が生きた証を残しておきたかったんだろうなぁ


そう思いながらニュースなど観ていたけれど
ワタクシ、この時、心に決めたのだ

 

(いや、この時はスマホのニュースの速報だったから
 後々ワイドショーで取り上げられている死去のニュースを観て
 決めたんだったか・・・・・・・・・・。)

 


(この癌では死なない。)


いや、死ねないと思ったのか?


とにかくそう思って治療にむかってたんだと思う。


でもまぁ、この後がとにかく
しんどかった、しんどかったのだった。


次回から通院投与について書きますね。ハイ・・・・・・・・
では今日はここまで。