チャーリーのほほんブログ

ブロガリからお引越、ぼちぼち、やってます。&チャーリー高橋ですがワタクシ女性です、男性のチャーリー高橋さんではありません。

2017年7月13日から18日までの6日間奮闘記?!

通院投与について


やっと書きますか💧


毎週1回投与する事になりまして
ワタクシの場合仕事終わりに投与する・・・・・・・・・・
って事になるので
当日血液検査して投与・・・・・・・・・・となると
半日以上かかるので時間的に無理💧
(朝から行けたとしても朝一の血液検査はものすごく混んでいて💧
 何時間待たねばならなかったのだろう?
 週に2回通わねばならなかったけれど
 ・・・・・・・・・・ただ、1日でも早く血液検査している分
 血液の数値が戻っていないって事もあったんだろうと
 思う所はあったのだが💧)


って事で投与を金曜日にすると
(金曜日は仕事がお昼までなので13時に病院へ行けるから)
前日の木曜日(仕事の時間を調整できるお仕事なので)
仕事終わりに血液検査だけをしに上町台地を駆け上がり
次の日、金曜も昼から上町台地を駆け上がり投与に行く
というスケジュールに。

第二回目の投与は2017年7月14日金曜日。
病院到着後、まず血液検査の結果を先生から聞いてから
投与出来る数値であればそこから抗がん剤の準備がされ
電光掲示板にその日の予約番号が掲示され
その番号が呼ばれると外来化学療法室で投与。
という事になるのだが・・・・・・・・・・
コレがね、通院投与の患者さんって多くて💧
呼ばれるまでに結構時間がかかるの💧

お昼抜きで病院まで来ているので
最初の頃は病院にあるコンビニでお昼ご飯を調達していたが
コンビニでのご飯も飽きてしまう事もあり
病院のレストランで食事したり・・・・・・・・・・
後半は家から持って行ってたかなぁ・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・また話が遠回りしておりますが💧
1時間くらい待って呼び出しになっても
(一度に5~8人くらい呼び出しがあったのかな?)
外来化学療法室の待合室で待機
抗がん剤が用意された順に投与する事に。
化学療法室という所は結構広くて
いい美容室のシャンプー台にあるリクライニングチェアが並んでいる感じ
フラットに寝そべる事も出来るチェアで
二畳半くらいのスペースをカーテンで区切られた所で投与を受けます。
点滴をしてくれる看護師さん達は化学治療の点滴を打つ
資格を持っている看護師さん達なのだそう
抗がん剤の中には直接さわると火傷するような薬剤もあるそうで
取り扱いが難しくちゃんと資格がいるんだそう。
着席すると最初に抗がん剤の説明を受け・・・・・・・・・・
ワタクシの場合はハーセプチンとパクリタキセルの投与だったのですが
ハーセプチンアナフィラキシー反応が出る場合がある抗がん剤なので
アレルギー予防として最初にレスタミンコーワ錠というアレルギー予防の薬を内服
点滴は最初に生理食塩液を流し(最初は点滴のルート確保+流す用)
次にアレルギー予防としてデキサートとラニチジンを注入
その後また生理食塩液を流し・・・・・・・・・・そう、薬剤が変わる毎に
生理食塩液を流すって事になっていまして
次にパクリタキセルを60分かけて投与された後
また生理食塩液を流して最後にハーセプチンを30分。
あ!この後生理食塩液を最後に流すの書き忘れてた!
管に残った薬剤をすべて投与する為に流すのかな? 
ハーセプチンは最初の1回目は90分かけて投与されたらしいのだが
 入院投薬だった為寝ている間に終わっちゃった感じ?)
投与だけだと2時間くらいで終わるのだけれど
本当に待ち時間が長くて💧
待ち時間だけで2時間とか3時間なんてよくある事だった💧
12回も受けに行くもんだから看護師さんとも仲良くなって
「来週はもう200人予約入ってるのよ!」とか
いろいろ情報も聞かせてくれたりしたなぁ・・・・・・・・・・


とにかく、2回目の投与は無事に終わって
家までまた自転車こいで戻るのだが

次の日は普通に仕事、
そしてその次の日曜日は
思い出しても怖いんだけど
前からの姉との約束で
京都伏見へお出かけ
ええ、伏見と言えば酒蔵巡り・・・・・・・・・・
一応お医者さんからは断酒しなさいとは言われていないし💧
なんとかなるか????


と思い、出かけたんだよな~~~。

でもカレンダーのメモを見てみたら前日の夜
「就寝前の歯磨きで右下顎から出血
 経口液で消毒した」と書いてある・・・・・・・・・・
そして朝にもメモが書いてあって
「早くに目覚めると右顎下が腫れていた!
 人参林檎ジュースを作り飲んでバファリン1錠を服用
 早朝ランへ
 戻り風呂に入ったら腫れが引いていた」と書いてある!!!

ま、戻って書いてあるメモには
伏見桃山へメインの目的は伏水酒蔵小路
 酒蔵巡りしたり十石船乗ったりして楽しかった♪」とある
でも・・・・・・・・・・記憶では姉に癌の事話すかどうか
考えてたけれど姉の話を聞いていたら仕事も家の事も
結構大へんそうだったので話す事を選ばず
楽しく過ごす事にしたのだったが途中からしんどくなってた💧
抗がん剤のせいで身体が弱っているせいか酒のまわりが早い💧
そして次の日のメモに
「夜半起きると顔が腫れていた…目蓋が半分しか開かない
とりあえずバファリン1錠飲んで抗菌目薬さして横になる
少し腫れが引いたようなので人参林檎ジュース飲んで風呂に。
なんとか仕事出来る状態に
呑みすぎ危険!昼飯は人参林檎ジュース
夜は軽く玄米ご飯で済ませた」とある・・・・・・・・・・
その次の日火曜日は
「今日もまだ顔が腫れていたが朝ランして風呂に入って
人参林檎ジュース飲んで胃薬とバファリン1錠飲んで
仕事へGO!」とある。・・・・・・・・・・意外とタフ?!?!

とにかく、すっごい大へん、だったんだなぁ・・・・・・・・・・
ま、とりあえず今回はここまで。

ブレイク多スギちゃん・・・・・・・・・・💧

ちょっとブレイク・・・・・・・・・・え?ブレイク多すぎ?!


この間実は父の十三回忌で
家族でコッソリ?集まったのですが
その際姉から家に飾る父の写真が無いと言われ


じゃワタクシの写真ライブラリーから
姉にデータとして送ろうか?
そう思ったのですが
ウチの姉の事・・・・・・・・・・送ってそのデータの中から
プリントアウトして・・・・・・・・・・
ってやるのかしら???


忙しい人なのでなかなかそんな事しない💧


そう思ったワタクシ
プリントアウトして送ってあげるのが一番かも?
そういや姉の写真や姉の子供たちの写真もたくさんあるし

 

そう思いデータをチェックしながら
プリントアウトしていたら
他の写真も気になって・・・・・・・・・・


親族の写真や
友人たちの写真など
渡して無いし


・・・・・・・・・・というのも
フィルム写真を撮っていた時なら
必ずプリントアウトして渡せていたのに
デジカメになって以来プリントアウトする事無く
手元にデータだけがあって
撮られた本人たちに見せてもいなかったのかも・・・・・・・・・・

 

という事に気がついて
ここ数日プリントアウト大会・・・・・・・・・・
ザッと200枚以上プリントアウトして
友人親族たちに送付した所でした。

 

大へんだった・・・・・・・・・・💧

 

いい写真も多かったので
プリントアウトして良かったかも。

 

そろそろ、届いているかも。

 

まこんな日常でして
ぼちぼち
書いていきます。

あ!そうそう、これ書いとかなきゃ💧

乳がんの報告を鍼灸院の先生にも話したが
先生からある本をいただいた。

「がん患者は玄米を食べなさい」という本なのだが

真面目に玄米を炊いて食べてました
効いたかどうかはよくわからないけれど💧

玄米をザッと水洗いして水切りし
そのままフライパンか中華鍋に移して強火で乾煎りし
水気が無くなってパチパチする位迄煎ったら
その鍋に水を入れると沸騰状態に
そのまま炊飯器に入れ別に研いでおいた白米を一緒に入れ
玄米と白米を合わせた量で水加減をして炊飯する
というやり方なのですが本に載っていたのは
玄米4.5カップに対して白米1.5カップだったけれど
食べやすいよう玄米3合か2合に対して白米1合で炊いてました。
このやり方で炊くと玄米を水に長い時間浸けなくていいので
楽だし沸騰した玄米を炊くので炊飯も早いので意外と簡単。
で、白米多めだと食べやすいのでおいしく食べてましたね

 

これと一緒に免疫力に効くと
人参リンゴジュースもいいと先生から聞いて
スロージューサーなるものを買って
しばらく飲んでいたのだけれど
絞ったカスが残るので・・・・・・・・・・しばらくカレーに使ったり
したりしてたんだけど・・・・・・・・・・キリがない。
そして大量のリンゴと人参を使うものだから
使ったのは1ヶ月くらいだったかも💧
でも身体にはいいようで
市販の人参ジュースとリンゴジュース混ぜて飲んでました💧


ま、食事って大事だなぁと
考えるきっかけにもなりましたね


でも抗がん剤との闘いでは
白血球の数値と好中球、そして肝臓の値γGTPが大切でして
これだけでは足りない事もあったりして💧
また順次書いていきます💧


なかなか通院投与について書けない💧
次からは書けるのか?!

なかなか話が進まない💧2017年7月9日までのアレコレ

次回から通院投与について書きます・・・・・・・・・・。


と書いちゃったから
いろいろ資料を集めて
ガラケーのカレンダーに書いた
メモを読み返したりしていたら

 

自分の頑張りがすごくて・・・・・・・・・・。
よく頑張ってたよなぁ・・・・・・・・・・。

 

しみじみして
なかなか書けずにいました。

 

仕事先でもどんな状態だったのか?
業務日誌も見返したりして

 

そういえばこのブログにも
大阪マラソン2017への道」というのを書いていますが
全78の記事の最初の「その1」はまだ当選を喜んでいるだけの
記事なんだけど「その2」からは
実はシコリ発覚後のランニングだったり


いろいろ、悩みつつのランニング日誌であった事
思い出すとついつい、しみじみしてしまって・・・・・・・・・・。

 

ちなみに・・・
入院投薬で退院したのは2017年7月8日土曜日
2日間仕事有休で休んで朝10時家に自転車で戻ったのだけれど
メモには
抗がん剤の影響か手足に軽いしびれが。薬が効いているって事だろう」
と書いてあった。


そして次の日曜日ブログを確認したら
ワタクシ、走ってた!!!


しかも何気に神だより?
神社仏閣巡りランしてた。


抗がん剤は投薬後はなるべく早く身体から(抗がん剤を)出すように言われ
水分を多めに取るようにして
ランニングも身体から排出するのにちょうどいいかと
水分を取ってから走って汗をかき
戻ってきてはお風呂に入りつつ
ティファールのポットに少し温めた白湯を入れたもの
お風呂に持ち込んで白湯を飲みつつ
汗を出そうとぬるめのお風呂にゆっくり1時間くらい入って
さらに汗で出そうと
ランニング+お風呂で文字通りのデトックス・・・・・・・・・・。


コレをずっと続けたのだ
ラソンの為もあり
抗がん剤対策でもあり


でも・・・・・・・・・・こうやって出す努力をしたけれど
手足のしびれはなかなか頑固で。
手はなんとかもうしびれは無いけれど
足の指には5年以上経ってるけど未だに僅かだけれど
しびれは残っている。
(正座してしびれた感じがずっと足先に残ってる感じですねぇ)
走っていれば無くなるのかと思い
走り続けているけれど未だにあるというのは
ホント怖い副作用である。


この後いろいろまた副作用出てくるんだけれど💧
それはまた
次回にさせてください💧


先は長いなぁ・・・・・・・・・・。

話は前後してしまいますが💧…2017年6月23日の出来事。

6年前の事で
しっかりとした日記を書いていた訳でもない
いろいろ思い出しながら書いているので
ふと思い出した。


この病気の事を
一度・・・・・・・・・・会社の担当者に直接
話せる機会が・・・・・・・・・・
実はあったことを思い出した。
何かの用があって担当者が仕事場に来ていたのだ


しかし・・・・・・・・・・


その時ちょうど担当者のスマホが♪ピロリンと鳴って
担当者がスマホを開いて一言
言った言葉が
ああ、そうだった。
アレがワタクシを黙らせたのかも知れない。


2017年6月の23日だったよう
ニュースを調べてこの日だと判ったのだが。


ちょうどワタクシが検査の結果を聞きに行く
午前中の事だった。


2017年のこの頃
この病気がちょっとワイドショーや雑誌ネット
取り上げられていた事思い出していただけるだろうか?


担当者、スマホ見て一言。


「あ小林麻央死んだ」


・・・・・・・・・・そう、
彼女が闘っていた病気がコレで。
この一言で黙り込んでしまうしかなかった。


いろいろあるから
休みも急に取らねばならなかったりするかも知れないし
会社に言うべきかどうか・・・・・・・・・・
でも担当者、若い男の子だったし💧


・・・・・・・・・・ええ、ワタクシもその病気でして・・・。

(いや、この時点ではまだ判ってはいなかったけれど)

 


とは言えなかった・・・・・・・・・・。
まだ結婚して妻子持ちとかだったら
言えたのかも知れなかったけれど
大卒すぐの男子に
「あ死んだ」を聞いた後にはとてもとても、
言えなかった。


とにかく、治療が進んでいく上で
どうしようもなくなったなら
話さなくてはいけなくなるかも知れないけれど
それまでは、黙っていよう。


そう決めた瞬間だった。


きっと子供たちや家族に
自分が生きた証を残しておきたかったんだろうなぁ


そう思いながらニュースなど観ていたけれど
ワタクシ、この時、心に決めたのだ

 

(いや、この時はスマホのニュースの速報だったから
 後々ワイドショーで取り上げられている死去のニュースを観て
 決めたんだったか・・・・・・・・・・。)

 


(この癌では死なない。)


いや、死ねないと思ったのか?


とにかくそう思って治療にむかってたんだと思う。


でもまぁ、この後がとにかく
しんどかった、しんどかったのだった。


次回から通院投与について書きますね。ハイ・・・・・・・・
では今日はここまで。

2017年7月抗がん剤治療始まる・・・・・・・・・・の巻。

2017年6月30日金曜日腫瘍内科で抗がん剤治療の説明を受ける
先生が書いたメモが残っていたのでそのメモによると
「HER2陽性乳がん」としっかり書かれており
パクリタキセルハーセプチン
毎週の点滴×12回

・脱毛
・手足のしびれ
・過敏反応    -インフュージョンリアクション
        (分子標的治療薬の点滴時にみられる副作用の事らしい)
                      -アレルギー反応
初回 2泊3日入院

とある・・・・・・・・・・。

12回3か月で腫瘍がエコーでみえなくなっていたら手術。
(残っていたらアンスラサイクリン系の抗がん剤を+3か月)
で・・・・・・・・・・手術後の手順が2つ

その1 がん+
     ↓
  アンスラサイクリン系の抗がん剤を+3か月
     ↓
  ハーセプチン9か月

その2 がん-
     ↓
  ハーセプチン9か月

と書かれていたのですが
手術後には実は放射線治療が。


ま、腫瘍科の先生の説明も
あまり覚えていない・・・・・・・・・・。

次の週初め入院前の検査が入っていた。

2017年7月3日月曜日、心エコーとMRIの検査
この日入院の説明を受けた際
これからの治療に関して高額医療になるので
健康保険組合に高額医療の申請をして
限度額適用認定証というものをゲットするようにと
言われたので
ワタクシ国民健康保険だった故その足で区役所に直行
その日に限度額適用認定証をゲットしたのだった。
勤務先の保険組合などだったら
もしかしたら時間かかるのかも?
月額の報酬に応じて自己負担限度額が決まり・・・・・・・・・・。
とにかく沢山給料もらってる場合はそれなりにお金がかかるけれど
少ない場合は支払いが少なく済む・・・・・・・・・・という制度
ワタクシの場合住民税非課税だったので
月額自己負担額はその当時35400円、
4か月目からはさらに支払う金額が下がる・・・・・・・・・・
つまり治療が伸びると負担が減るシステム
ただ発行1年間のみなのですが延長?ワタクシの場合は自動的に
次の年は送られてきたような覚えが。
医療費の減少に応じて送ってこなくなったような気が・・・・・・・・・・。
ただ、普段の通院と入院とが同じ月にあった場合
入院と通院の金額は分けられるようで
どちらともに限度額支払わないといけなかった
同一の病院を利用していても、である。
・・・・・・・・・・そう、この制度は病院が変わると
病院毎に限度額支払わないといけないので
放射線治療だけは別の病院へ行かなくてはならない・・・・・・・・・・
そういう場合は2か所で限度額を払わないといけないのね💧


今回の説明は小難しくなってしまった💧
でもお金の問題はかなり大きいのです・・・・・・・・・・。
このまま治療を受けながら仕事が続けられるのか?
辞めた場合治療費をどうしていけばいいのか?


いろいろ悩み
もし仕事を辞める、もしくは長期間休まなければならないか?
とかなんとか
仕事の前任者に連絡して復帰してもらえるかどうか
連絡してみたり・・・・・・・・・・とにかく
2泊3日は入院って事だったので
仕事先は2日間休みをもらう事に

入院は2017年7月6日木曜日からだったので
木曜の仕事は早い目に行って入院を午後からに
(本当は午前中入院しないといけなかったのだがなんとか優先してもらえた)
血液検査、心電図検査と胸のレントゲン
次の日点滴治療が始まったのだが
いろいろ取り付けられてて心拍数やなんや
ナースステーションから看護師さんがイチイチ飛んで来られる


ワタクシ、長年泳いだり走ったりしてきたもんで
心拍数がものすごくゆっくり。
スポーツ心臓?ってヤツなんですか
脈拍が寝てしまうと30台になるようで
(普段40~50台なのだ)
看護師さんが驚いて驚いて…普段が48くらいですと伝えると
設定を低めにしたそうだ。
とりあえず大した変化も無かったようで
次週からは通院治療という事に。
本格的に治療が始まるって事ですね・・・・・・・・・・


とにかく今日はここまで。

訃報届く

毎年カレンダーを年末送っているので
年明けちょこちょこと戻ってくるカレンダーがある


今年も2通戻ってきたのだが
住所変更があった事が年賀状で判った人もあり
不明なのは1通のみ
メールは送れたので連絡待ちなのだが
今日、1通知らぬ方からの封書が届いていた


???


誰だろう。


急ぎ開けてみると
高校時代の同級生、お母さんからのお手紙だった。


令和元年九月二日亡くなっていたとの連絡・・・・・・・・・・。
自宅より店あてに送ってほしいと
本人から言われカレンダーをお店あてに送っていたのだが
封書には貸店舗として出されている広告が入っていた
そんな関係でお母さんのもとにカレンダーが届いたのだろうか
55歳で亡くなったこと
大変残念だけれど寿命だと思わざるをえませんと
なぜ亡くなったのかはわからないけれど
今まで仲良くして下さってありがとう と
書かれていた・・・・・・・・・・。


早いよ・・・・・・・・・・。
黒崎君。

ただいま準備中・・・・・・・・・・ちょっと2017年6月23日金曜日の続きへ

なかなか更新しない???

そうお感じなっている方もいらっしゃるかと思いますが
実は病院の書類を分別、ブログの参考になる
資料をかき集めておりました。
2017年分をとりあえずまとめました・・・・・・・・・・

ちゃんと残しておいて良かった。

父や母の癌闘病に関しては
もう10年以上経つし
資料ってほぼ無いのですが
父の場合はたしか初めての肺がんが見つかったのが1999年だったか?
父が治ったかと思ったら母が肺がんに
父は小細胞がんで母が肺腺癌で2002年に亡くなって
父はそれから2度の再発・・・・・・・・・・2011年に亡くなったのだが
とにかくもう、・・・・・・・・・・忘れちゃった。
いろいろリンクしてくる事もあるので
記憶を辿りながら書いていきます。


え?そうね
ここまで書いたんだから判りますね。


上町台地を駆け上がって辿り着いた病院で
それは何の心の準備も出来ていなかったワタクシに告げられたのだった。

「やっぱり癌でしたね」


え?
え?????
今なんと?????


ハ?


頭の中では慌てていましたが
ワタクシ、根が?ポーカーフェイスなもんで
先生には気づかれていなかったようで
淡々と話されている事があまり頭の中に入っていなかったのだが💧
ワタクシ、先生に一言

「11月の大阪マラソンには走れますか?」


と、確か言ったんだなぁ・・・・・・・・・・
先生はとにかく腫瘍が大きすぎるので抗がん剤で小さくしてから
手術をする事になるけれど抗がん剤の1クール12回が順調に終わって
10月に手術を出来たなら走れるでしょう、との事。


先生は(前向きな患者だなぁ・・・・・・・・・・)
と思ったのかもしれないけれど
心中ザワザワが止まらなくて。
その後の予定を看護師さんから聞くものの
あまり覚えていない。


いろいろ、あったのだけれど
ガラケーのメモには「生検結果」とだけしか
書かれていない・・・・・・・・・・。


ここから、「ちょっとしたこと」が始まるのだった。

・・・・・・・・・・続き2017年6月16日から

すみません、脱線してばかりですが。


「ちょっとしたこと」について
ブログを書くにあたって
自分が書いていたカレンダーのメモを改めて読み直すと
驚く・・・・・・・・・・
すごく心細かったんだな
自分で自分の事、気づいてはいなかったけれど。


これだけは書いておこう
そう思って短いメモが書かれていた。
誰の為に書いたわけではない
自分が自分の事を、忘れないためだけにメモしていたもの。


2017年6月16日クリニックから新たな病院への予約が入れられた
2017年6月19日月曜日
その病院への紹介状を受け取りにクリニックへ向かった。
紹介状での予約は6月21日の水曜日、
急遽、仕事のお休みを貰ったんだな10時からの検査予約が書いてあって
仕事している時間なのに💧(仕事のスケジュールを消していなかったのだ)
今日見て気がついたくらい
ずっと気づかないでいた
ザッとレントゲンやら何やら
昼過ぎに血液検査と(…なのでずっと断食だった!)
マンモグラフィ、そして生検・・・・・・・・・・
生検ってとても痛かったと思い出した・・・・・・・・・・
注射器で患部の組織を吸引するのだ!!!
メチャクチャ痛い・・・・・・・・・・


あ・・・・・・・・・・マンモグラフィも勿論?痛いんですけど。
(乳房を挟んで検査するヤツ・・・・・・・・・・)


次の日鍼灸院へ行ったのでそこで初めて鍼灸院の先生に
胸のしこりについて先生に話す。
初めて自分以外の人にこの事が知られるのであるが
先生には話さないといけないし・・・・・・・・・・
と、いうのも・・・・・・・・・・以前何かの記事だったか何か
この病気と鍼治療との相性が悪いというのを
読んでいた記憶があり
話しておかなくては…と思っていたので。


検査結果が出てみないと判らないし
良性のものかも知れないし・・・・・・・・・・とかなんとか。


先生からは

結果は必ず教えて下さい
鍼治療は必ず助けになるはずだからと。


不安はありつつも
いや、そうではないんだと
考えないようにしていたのかな


結果は金曜日、
予約は仕事終わりの13時半、
仕事先から自転車を走らせ上町台地を駆け上がり


病院へ向かった


この後ずっとこの自転車通院が
何年も続くとは・・・・・・・・・・


思ってもいなかったのだけれど・・・・・・・・・・。
とりあえす今日はこの辺で。

始まりは2017年6月16日(金)

とりあえず始まりの日から書きますか・・・・・・・・・・


朝から胸が圧迫される感じで息苦しさを感じてたのだが
仕事終わりで居間で横になってふと左胸を触ると丸いしこりを発見
急ぎネットで調べクリニックに。

ガラケーのカレンダーにメモ書きしてある。


この日から始まったんだな・・・・・・・・・・


記憶をたどって書いてみると
金曜日は仕事が12時終わりなので家に戻り
「13時から電話工事」というメモもあり
バタバタしていたのだろう
やっといろいろ片付いて
居間で仰向けになってゴロンとした時
(普段仰向けでは寝てなかったのだね)

いままで感じたことのない息苦しさがあって
ふと左胸の上に手をやると何か違和感、
なんだか丸いものが!!!

起き上がってしっかり触ってみると
ピンポン玉くらいの大きさがある!

え????

なんだこりゃ???

たしか時間は16時になってたか
あわててインターネットをチェック
超音波検査してくれる所が見つかって
急ぎ電話、丸いしこりがある事を伝え予約をし直行。
検査してすぐ大きな病院で調べた方がいいと
大阪で一番という病院へすぐ先生が予約を入れてくれ
後日紹介状を取りに来てくださいとの事。

「どんな結果であっても最後まで治療を受けてくださいね」

先生に言われたことがとても印象的で
後から考えると怖がって治療を止めてしまう人もいるのだと
その言葉に押されとにかく家に戻り考えるが
いや、結果が出るまでは考えまい。
不安のまま過ごすのは止めようと
一切ネットで調べる事もなく
検査の結果が出るまでは普通に過ごそうと
・・・・・・・・・・ま普通では無かったんだろうけれど
この日をやり過ごしたのだったか?


とりあえず始まりはこんな感じでしたっけ
ぼちぼち書いていきます、ハイ。

 

補足:なんでそんなにデカいものがあったのに
気づかなかったのか?という疑問があると思いますが
・・・・・・・・・・女性って
女系の人でこの手の病気の遺伝が無い人って
あまり自分の胸を触ってチェックするって事が無いのね
私の場合、普段胸を触るといってもブラジャーを装着する時だけ
しかもブラジャー着ける時って胸を下から持ち上げる形で装着するので
上部に触れることって無いの!!!
お風呂で身体洗う時とか気づくだろう?!って
思うと思うんだけれど・・・・・・・・・・タオル越しだし
触んないの・・・・・・・・・・パートナーがいる方など
これを機に週一?月一でも構わないからチェックしてもらうのもいいかも💧
自分で気づかないってのは本当アカンわ~~~って事なんですが💧💧💧。